本格探偵小説の守護神


「小城魚太郎」は小栗虫太郎が自作の中で自分を想起させる作家として登場させている探偵作家である。「黒死館殺人事件」では遺伝犯罪病理学の書である「近世迷宮事件考察」を著し、また、「白蟻」では「後光殺人事件」を書いた作家とされている。

終戦を迎えた小栗虫太郎は江戸川乱歩に「これからは本格しか書かない」と公言し、「悪霊」に着手したが、第一回を書いただけで、1946年(昭21)に脳溢血にて没してしまう。さぞや無念であったと推測される。
同時期にデビューし、斬新さにおいて並び称された木々高太郎が探偵小説文学論を唱えて、戦後の探偵文壇に派閥を築いたのとは対照的に呆気ない最後だった。だが、本格に賭けたいという一念は死後も残った。

木々高太郎を担ぐ文学派は、江戸川乱歩の本格派と対立し、探偵文壇をふたつに割った。
そのような状況下に立ち上がったのが、小栗虫太郎の分身である小城魚太郎である。1949年(昭24)に「紅鱒館の惨劇」でデビューした岡村雄輔のもとに舞い降り、岡村雄輔が創造した探偵「秋水魚太郎」に名を変えて世に現れている。
文学派の勢いは1950年(昭25)に「新青年」に掲載された「抜き打ち座談会」をきっかけとして次第に勢力を減退させていく。1946年(昭21)に小栗虫太郎とともに死んだはずの小城魚太郎が実は密かに生きていて、乱れた探偵文壇を粛清したのである。

かつて、西郷伝説という噂があった。1877年(明10)、西南戦争で自刃したはずの西郷隆盛は実は死んでおらず、密かにシベリアに渡り、ロシア軍の訓練を行なっていたという噂が、1891年(明24)に流れた。当時の日本政府は腐敗が進んでおり、政界を粛清するためにロシア皇太子とともに帰国するといわれていた。大津事件の一因ともなっている。

本格乱れるところに小城魚太郎、現れる。これが小城伝説である。

次に小城魚太郎が現れたのは、昭和30年代の「宝石」である。当時の探偵文壇は松本清張を祖とする社会派全盛期で、本格派は風前の灯火だった。本格派の命脈を守らんと、中島河太郎に憑依し、中島河太郎は小城魚太郎名義で「宝石」に「新刊展望台」を連載をはじめた。

その後も節目ごとに小城魚太郎は現れている。横溝正史森村誠一ブームに沸き、本格低迷の時代を抜けた昭和50年代にも京都大学推理小説研誌「蒼鴉城」を舞台に小城魚太郎は出現した。これは評論家の巽昌章の別名だった。

さて、2001年(平13)、山田正紀の日本推理作家協会賞受賞作「ミステリ・オペラ」において、小城魚太郎は「赤死病館殺人事件」を著した伝説の探偵作家として登場している。
現代の本格を乱しているのはいったい誰だろうか。


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